【福音宣教】 老預言者アンナの祈りと感謝

20210117 第3主日礼拝 ルカ2:36-38

いよいよ京都府もコロナ感染拡大防止のために2月7日まで「非常事態宣言」を発出しました。宇治教会も高齢者と基礎疾患をもっておられる方々を感染から守り、健やかな日々暮らしていただくために、本日から2月末までの予定で、日曜礼拝への出席停止とオンラインでの礼拝に再び切り替えました。牧師として大切な教会員の皆さんをコロナによる重篤化あるいは面会も許されない孤独な病死に至らしめたくありません。たいへん残念ですが、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

「み言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(2テモテ42)と聖書は教会に命じています。それは同時に「信徒は時が良くても悪くてもみ言葉を慕い求め、み言葉に耳を傾けなさい」という神の御心でもあります。この機会に、みことばを聴くことをお休みしようなどと思わず、かえってみ言葉の「飢饉の時代」と受けとめ「鹿が谷川の水」(詩篇421)を求めるように切に神と神のことばを慕い求めましょう。

1.    老預言者シメオン

さて先週、私たちは、エルサレムの神殿で長年にわたり預言者としてメシアの到来を語り、待ち望み続けた老預言者シメオンについて学びました。ついにメシアに出会い、生後40日の赤子のイエス様を抱きあげ、その笑顔の中に「異邦人を照らす救いの光」「御民イスラエルの栄光」を見た老シメオンは「もういつでも私はこの地上を安らかに去ることができます」と平安と喜びと感謝を言葉にして神を賛美しました。イエス様とお会いした私たちもこれ以上の幸福を他に探し求め続ける必要はありません。もう人生最高の宝を受けとらせていただいたのですから。イエス様以外はいわば「人生における付録」「おまけのようなもの」といったら言い過ぎでしょうか。新聖歌428番にあるように「キリストにはかえられません。世の宝もまた富も、世の楽しみも世の誉も」の歌詞はシメオンの祈りに通じています。

2. 女預言者アンナ

ルカはシメオンとともにもう一人の女預言者アンナが「ちょうどこの時」(38)神殿でシメオンとともに幼子イエスと出会ったことを記しています。彼女はアセル族パヌエルの娘、7年間の結婚生活の後、やもめとなりその後は84年間(新改訳では8⒋歳と訳している)も、まるで神殿を住まいとするかのように朝も夜も断食と祈りをもって神に仕えていました。おそらく100歳を超えていたと推測できます。100歳を超えてもなお、毎日のように神殿に上り、祈りと断食をもって神殿で神に仕えていました。かつて名古屋では、100歳を超えた双子の姉妹、金さん銀さんが一躍有名になりました。アンナも当時として100歳を超える現役の女性預言者として、多くの人々から尊敬されていたことでしょう。84歳としてもすごいことです。シメオンはメシアと出会って「安らかに去らせてくださいます」と満足して天の御国に目を向けましたが、アンナは神殿に来る人々に次々と、この方こそ約束されていたメシアであると話し続けました。動詞が完了形ですから、これからも神殿で人々に語り続けていくことが示唆されています

84歳の高齢になっても、あるいは100歳を超えていても彼女はまだまだ現役で、神殿の上っては神様への奉仕を続けていくに違いありません。神に仕える献身と祈りの奉仕に終わりはありません。

多くの日本の教会は、60代70代の高齢者、しかも女性たちによって支えられ続けていることを感謝したいと思います。教会に集い、奉仕をささげることそのものが喜びになっているのです。主への奉仕に年齢制限はありません。

3 メシアの救いを待ちのぞむ民

シメオンはイスラエルの慰められる日を待ち望み、アンナはエルサレムの贖いを待ち望んでいました。そして、二人の老預言者が神殿で救い主イエスと出会ったことをルカは強調しています。視点を換えれば、神の御子キリストがシメオンとアンナを招いて出会わせたといえます。イエス様とシメオンとアンナは神殿で偶然、出会ったのではなく、そこには深い神の摂理とご計画があったと理解できます。

旧約聖書では二人以上の証言が無ければ事実とは認められないという律法がありますから、二人の預言者の証言によって「マリアに抱かれた幼子が約束されたメシアであること」が確かな事実とされたことを意味していますが、二人の出会いにはもっと深い意味があるようです。

シメオンは「聞き入れられた」という意味の名前でギリシャ語ではシモンと呼びます。旧約聖書においてシメオンはイスラエルの族長ヤコブの2番目の息子です。イスラエル12部族の中でシメオン族はやがてユダ族の中に吸収されてゆきました。一方、アンナという名前はギリシャ語の呼び方で、へブル語ではハンナといいます。「神に恵まれた者」という意味の名前です。アンアの出身部族であるアセル族はヤコブの8番目の息子で、モーセからも「祝福された部族」と呼ばれました(申命記33:2425)。残念ながらアセル族は北イスラエル10部族に属しており、アッスリア帝国によって滅ぼされてしまい、異邦人世界の中に散らされてしまいました。

視野を広げると、二人の預言者、シメオンは南にあるユダ族、アンアは北にあって失われてしまったイスラエル10部族を代表しているとも言えます。つまり、メシアの到来によって全イスラエルの12部族が回復されていくことをルカは示唆していると説く学者や説教者もいます。

聖書はたいへん奥の深い書物であり、人類に対する深遠な神の救いのご計画が記されています。そもそもルカの福音書は異邦人であるギリシャ人の高官テオピロに宛てて書かれた書物ですから、メシア・救い主キリストはユダヤ民族だけでなくギリシャ・ローマ人をはじめとするすべての異邦人の救い主でもあることを強調しています。そして南ユダ族だけではなく、失われた北イスラエル10部族もやがて回復され、「ユダヤとイスラエル」を含めた全イスラエルの回復と救いが預言され、切に祈られているといえます。

「見よ。その日が来る。─【主】の御告げ─その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する」(エレミヤ3314

ルカが神の救いのご計画を語るに際し、このように歴史を貫く壮大なスケールの中で、福音書を記しているといえます。神のみこころのすべてを私たちは知り尽くすことはできませんが、神のご計画は「神の御国の完成」に向かって着実に進展しつつあります。

あなたもこのように神の御手の中に捕らえられ、救いに導かれ、天に国籍を持つ一人とされました。ですから、救いはゆるぎません。安心して委ねましょう。そしてシメオンとアンアがメシアの誕生を待ち望んだように、私たちは「神の国の完成」を待ち望み続けます。

「天においてみこころがなるように、地においてもみこころがなるように。御国が来ますように」と待ち望みましょう。

待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」(詩篇27:14)

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